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防衛省市ヶ谷台ツアー

猛暑が続いていましたが、今日(平成30年7月26日)は少々曇り空で気温も低め。絶好のツアー日和でした。

 

 江戸城・皇居西方の高台である市ヶ谷台は海抜31.4mで、自然の地形としては都内23区で1番の高さです。その南側には江戸・東京の防衛の要として江戸から現在まで重要な防衛施設が置かれており、「市ヶ谷台」はそれらの通称ともなっています。特に、陸軍士官学校(陸士)が市ヶ谷にあった頃には、陸士を指して「市ヶ谷台」と言い、陸士生徒(士官候補生)や陸士出身の陸軍将校の事を「市ヶ谷台上の人」とも呼称しました。

 江戸時代には御三家である尾張徳川藩上屋敷があり、明治維新後もその敷地を利用して国防関係施設が建てられました。特に1874年(明治7年)から1937年(昭和12年)までは陸軍士官学校(士官学校の本科。拡充のため神奈川県座間へ移転)、同じく1941年(昭和16年)までは陸軍予科士官学校(予士。士官学校の予科。拡充のため埼玉県朝霞市へ移転)が置かれ、多くの陸軍将校・士官候補生を養成しました。

庁舎B棟奥には白い建物の「市ヶ谷記念館」が見えます。市ヶ谷記念館は現A棟の場所にあった1号館のうち、玄関・大講堂・便殿の間・陸軍大臣室をここに移設・復元したものです。
その大講堂は日本の戦争指導者を裁いた1946.5.3〜1948.11.12の極東国際軍事裁判の法廷として使われた歴史を持っています。
玄関ホールを入ると、そこにはナラの寄木7,200枚を敷いた「大講堂」。
正面に「玉座」があって左右の壁際には展示物があります。
向かって右側には、この玉座に上がる為の陛下専用の階段があり、陛下が上がり易いように1番下の段はだいたい中央がほんの少し高くなっており、上の4段は板の中央がほんの少し凹んでいます。上り下りの際に足の据わりが良いように細かな工夫が施されています。

二階は『旧陸軍大臣室』となっています。この旧陸軍大臣室(前陸自東方総監室)は士官学校時代、士官学校長室として使用されていました。この旧陸軍大臣室では有名な『三島事件』が起こり三島由紀夫のつけた3つの『刀傷』があります。
『旧陸軍大臣室』隣の部屋は『旧便殿(びんでん)の間』です。このお部屋は士官学校時代に陛下のご休憩(御便殿の間)のお部屋として使用されていました。その後は陸上自衛隊幹部学校長室として使用されていました。入り口の扉は外側に開きます。旧1号館その他の全ての部屋の扉は内側に開きます。『扉は人を招き入れる為に内側に開くが、陛下専用の便殿の間は人を招き入れる事は無い。』ということで外側に開きます。

『メモリアルゾーン』は、奥に自衛隊殉職者の慰霊碑のある静かなフィールドです。平成29年10月28日の自衛隊殉職隊員追悼式において、安倍総理の追悼の辞では「ここに祀られた1934柱の御霊」とあり、その全てのご芳名が銅製の銘板に刻まれています。

総理の追悼の辞
「平成29年度自衛隊殉職隊員追悼式に当たり、国の存立を担う崇高な職務に殉ぜられた自衛隊員の御霊(みたま)に対し、謹んで追悼の誠を捧げます。
 この度、新たに祀(まつ)られた御霊は、25柱であります。
 ただひたすら国民のため。それぞれの持ち場において、強い使命感と責任感を持って職務の遂行に全身全霊を捧げた皆様は、この国の誇りです。私たちは、その勇姿と名前を永遠に心に刻みつけてまいります。
 同時に、かけがえのない御家族を失われた御遺族の皆様の深い悲しみ、無念さを思うと悲痛の念に堪えません。
 ここに祀られた1934柱の御霊に対し、改めて深甚なる敬意と感謝の意を表します。
 その尊い犠牲を無にすることなく、御遺志を受け継ぎ国民の命と平和な暮らしを断固として守り抜いていく、そして、世界の平和と安定に貢献するため全力を尽くすことを、ここにお誓いいたします。
 いま一度、御霊の安らかならんことを、そして、御遺族の皆様の御平安と末永い御健勝をお祈り申し上げ、追悼の辞といたします。」

なんといっても市ヶ谷記念館。東京裁判が行なわれた木のぬくもりが感じられる大講堂。貴重なお話や展示品が興味深く目を奪われました。三島由紀夫が立てこもりつけた刀傷の残っている総監室の見学等々。見学ツアー内では 展示品などじっくりと見ることが出来なかったので 次回また参加したいと思っています。(参加者の声)

市ヶ谷台・・・幼少の頃から靖国通りながら「駐屯地」(市ヶ谷記念館)の姿、そして三島事件の舞台、それがそのイメージでした。 

市ヶ谷台は江戸時代には江戸城の守りを担う尾張徳川家の上屋敷、明治維新後は兵学寮が置かれ、昭和に入ると陸軍士官学校、太平洋戦争が起きた昭和16年になると大本営陸軍部、陸軍省、参謀本部が置かれ、終戦後は連合軍極東軍事裁判の舞台となり、昭和34年に日本に返還されました。  そして現在は日本の国土防衛を担う防衛省がこの地にあります。

庁舎A棟の地にあった1号館を移築・復元した「市ヶ谷記念館」の大講堂、旧陸軍大臣室、旧便殿の間と歴史を示す数々の展示品を見学し、約400年の歴史が示すように、市ヶ谷台は日本の国土を守る舞台の一翼を担ってきただけでなく、これからもその重要なポストにあることは、地の利を生かした海抜31メートルの台地に置かれていることが物語っているのだと改めて感じました。(参加者の声)
各方面のお取り計らいで、庁舎内にて会食の場を設けて頂けました。ツアーの案内係の説明に加え、さらに詳しいお話を伺うことができました。ありがとうございます!
新人の自衛官たちでしょうか。背筋ピーンの初々しい隊員たちも見学していました。